昨日の続きです
今まで得たもののすべてを失う無念さと後悔人はみな生きている間、自分のやりたいことの全てをやりきることは出来ません。
みんな、旅の途中で終わるのです。
野球選手とか、いろんな能力を持っている方々が
、第一線を退く時、 "我が人生に悔いはない"とよく言われますが、
あんなのはみんな嘘ですよ。
悔いのないほど、全てをやり切れる人なんていません。
悔いがないのではなく、まだやりたいことがいっぱいあるが、
やり切れる自信と能力がなくなったので、ただただ諦めただけ。
人はみな、まだやりたい事が沢山あるのに、
それが出来なくなるから、死ぬのが辛くなるのです。
我が命の終わりを悟った時、
人生に悔いのない人は絶対にいないのだと思うことが、
死に行くための力になってくれるのだと、固く信じています。
消えてゆく虚しさや、焦燥感や悔恨の念を少しでも少なくするために、
生きている間に、しておかなければならないことがあります。
それは・・・・
生きている間の、自己表現の有無とその量です。
自己表現とは、自分がしたいと思うことを形に表すことだと解釈しています。
1、行ってみたいところはありませんか
2、.してみたいことはありませんか
3.聞いてみたいことはないですか
4.見てみたいものはありませんか
5.会ってみたい人いませんか
6.、心がときめくような感動に出会いたいとは思いませんか
*こういうことをひとつでも多く実現していこうとする行動が
自己表現と言うのだと思います。
人よりひとつでも多く、自己表現を形として表してきた人が、
その分だけ、後悔が少ないのではと考えます。
これからの人生をどうしたいのか、
どういう生活をしたいのか、
どういう人と、どういう係わり合いをもって生きていくのか、
真剣に考えて生きて行かなければ・・・・。
そういう生き方こそ、人生という時間の経過が、
消化となるか、刻むとなるかの分かれ道なのだと思います。
黄泉へと旅立つその時に、
"ここまでやったのだから"と思い、納得し、
悔いはあれども、それなりの満足感を抱懐しながら、
懐かしき亡き父母のもとへと旅立ちたい・・・・・
* 明日は、親しい人との永久の別れの悲しみについて・・・・・
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