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ある会合で僕はこんな話をした

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最近の子供達はじっと静かに勉強することが苦手であり、特に理数系の勉強を嫌う傾向にある。
これは教師の指導力不足とか、詰め込み主義とか、親の勉強嫌いなどが原因だと有識者はいう。
しかし一番の原因は、子供達の耐える心、すなわち我慢をする心が希薄になっていることだと
僕は思う。
特に理数系の問題などは長い時間、机に座ってじっくりと問題を解かなくてはならない。
分からないこともあれば何日も解けなくて苦しまなくてはならない。
その焦りや苦しみに耐えなくてはならない。
耐えることはすなわち物事を我慢する心の育成となる。

現在の社会環境下ではこの子供達に我慢をする心を養育させにくい環境にある。
欲しいものはふんだんに与えられ、
電子機器の驚異的な発達によって必要な情報が瞬時に送受信でき、
24時間営業の店舗の存在によって欲しいものがいつでもどこでも手に入るようになった。
すなわち、待たなくてもよく、我慢をしなくてもよくなった。
この耐える力すなわち我慢力の欠如が、昨今の読書離れに大きく影響している。

読書とは、ひとつづつ活字を追い、分からない言葉や字は辞書をひき、
頭の中で物語を自分なりに構築しながら進めなくてはならない。
これらの行為はそれ相当の我慢が必要となる。

物質的に豊かな社会だからこそ、親も教師も子供達に我慢をすることを教えなくてはならないが、
親は子供を甘やかし、教師は指導者でなく支援者となり、
根底に流れる因の思想は、子供を傷つけてはならないという発想がある。
この発想から生まれてくるものが、昨今の不見識な親の出現となり、教師の指導力低下の原因をなしている。
その結果が、先生や親に反抗し、授業をサボり、抜けだし、嫌いな授業は受けないでいい、
私語はかまわないなんていう発想につながってくる。
こういう教育理論の根底をなしているのが、個性の尊重という美辞に惑わされた意味のよく分からない思想である。

この思想が、勉強が出来ないのも個性であり、野菜を食べないのも個性、自分勝手な行動も個性などというまことに危険な発想を生んでくる原因となっている。
現在の社会や教育の場における個性の尊重という思想は、単なる甘やかし以外の何ものでもない。
人は生きていくうえで、生活するうえで、
守らなければならない人間としての基本的な志向が存在する。
そういう志向を形にするための方法が、その人、あの人によって自由である事が望ましい。
すなわちそういう自由をもつて個性というのではないかと思う。

生きていく志向や基本が出来ていない子供達を、個性の尊重などという美辞のもとに甘やかしてしまうのは、子供達を見放すということでもある。

子供達を愛し、慈しむということは、その子供達の将来に責任を持つということでもある。


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